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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第28主日

《A年》
 123 主はわれらの牧者
【解説】
 この答唱詩編で歌われる、詩編23はよく知られている、牧者としての神に対する信頼と感謝を歌ったもので、牧歌
的な美しい表現に満ちています。キリストは、この詩編23とエゼキエル書の34章に従い、「わたしは良い羊飼いで
ある」(ヨハネ10:11)と述べています。この詩編の5-6節は、天のエルサレムにおける永遠の宴を預言しており、
これはまた、キリストによって制定された、ミサの予型でもあります。
 答唱句の冒頭の「主」で、旋律は最高音のC(ド)から始まり、再び「牧者」でC(ド)が用いられます。後半、「わたし
は」では、最低音のD(レ)、続く音はE(ミ)と低い音が用いられます。また、「とぼしいこと」ではバスの最低音B(シ)
が用いられますが、そこまで、バスは下降し、祈りを深めます。「主」と「牧者」、「わたしは」と「とぼしいこと」と、対照
を成すことばが音でもはっきりと表現されています。前半の「われらのぼくしゃ」は、和音が非常に密集しており、羊で
あるわたしたちの弱さ、養っていただくことに対する謙遜を表しているといえましょう。
 「答唱詩編」のトップページでも述べましたが、詩編唱は、旋律伴奏ともに、17.18「いのちあるすべてのものに」と
まったく同じで、「わたしたちを養ってくださる神」という、同一の主題で、詩編唱の統一がはかられています。この、
詳細は、「答唱詩編」のトップページをご覧ください。
【祈りの注意】
 この答唱句は、ややもすると、非常に間延びして歌ってしまうことが多いのではないでしょうか。四分音符=72
を、メトロノームで実際にはかってみると、それほど早くはありませんが、間延びしない緊張感が必要です。「主は」の
後の八分休符は、次の「われら」のアルシスを生かすものですが、この八分休符を緊張感を持って、しっかりと取るよ
うにしましょう。この八分休符は、音がないのではありません。オルガンの伴奏は続いていますし、何よりも、祈りが
続いています。休符は、音がないのではなく「ない音がある」のであって、音楽も、特に『典礼聖歌』では、祈りが続い
ていることをよく覚えておいてください。
 このほか、休符のないところの「主」「われら」「ぼくしゃ」もアルシスをよく生かして歌いましょう。「牧者」では、主こ
そわたしたちを養ってくださる「牧者」という、信仰告白を強く表現するように、テヌート気味にしますが、決して間延び
しないように、緊張感も保ちましょう。
 後半「わたしは」からはテンポをもとに戻しますが、「とぼしい」あたりから、rit. しておさめます。
 詩編唱ですが、4節は、どの小節もことばが短いので、他の節よりもゆっくり歌うようにします。こうすることで、全体
のバランスが良いものとなり、何よりも、ことばを落ち着いて味わうことができ、ひいては、祈りが深まる のです。
 今日の、第一朗読と答唱詩編、福音朗読に共通する主題は、神の国の宴です。第一朗読で言われている「死を永
久に滅ぼしてくださる」「主なる神」によって、「わたしはとこしえに、神の家に生きる」のであり、わたしたちは、「いつく
しみによって正しい道に導かれ」、この「婚宴」に招かれていることを忘れないようにしたいものです。その宴を、この
地上で実現しているのが、ミサであることもです。
【オルガン】
 この答唱詩編も、基本的には、フルート系のストップ、8’+4’で良いと思います。ただ、人数が多い場合は、2’で
はなく、弱いプリンチパル系の8’か4’を使うとよいでしょう。前奏のときに、オルガンがあわてないことが大切です。
オルガンの前奏で、どれだけ、祈りの深さを提示できるかが、答唱句を深める鍵になるといっても過言ではないと思
います。なお、「ぼく者」のテヌートを生かすためにも、できるだけ、ペダルを使いたいものです。

《B年》
 52 神のはからいは
【解説】
 詩編90は、詩編集第四巻の冒頭の詩編です。表題には「神の人モーセの詩」と書かれており、モーセの作とされ
るのは、この詩編の思想が、申命記32章にある「モーセの歌」と類似するからと思われますが、「わたしたち」(一人
称複数)ということばが主語にあることから、共同体の嘆願と考えるのが妥当でしょう。人間のはかない いのちに対
し、神の永遠性を対比させることで、神のいのちを請い求める知恵を願っています。
 答唱句の前半、旋律は、E(ミ)を中心にしてほとんど動きが見られません。後半、旋律は一転して主音のA(ラ)か
ら4度上のD(レ)へと一気に上昇します。旋律では「そのなかに」で、テノールでも、やはり「なかに生きる」で、最高
音のD(レ)が用いられ、限りない神のはからいをたたえるこころと、そこに生きる決然とした信仰告白が力強く表明さ
れます。前率と同じように、バスとテノールも前半はA(ラ)を持続し、さらに、テノールは後半の「その」まで、A(ラ)に
留まり、神のはからいの限りない様子と、その中に生きる決意が表されています。最後は、導音を用いずに終止し、
旋法和声によって歌い終わります。
 主音から始まり、主音で終わる詩編唱は、最低音がD(レ)〔3小節目〕、最高音がC(ド)〔4小節目〕と、続く小節
で、7度の開きを持ち、劇的に歌われます。1小節目と2小節目はA(ラ)を中心にシンメトリーになっています。これ
は、下の、祈りの注意にも書きましたが、1小節目と2小節目の内容が基本的に起→結という関係になっていること
にもよります。また、3小節目が、1小節目と4小節目の両方とやはり、シンメトリーになっていますが、これも、やは
り、3小節目と4小節目が同じく起→結であるのに加え、1小節目+2小節目が起、3小節目と4小節目が結、という
内容にもなっていることによります。
【祈りの注意】
 答唱句は、p で、しかし、強い精神で歌い始めます。最初の「かみ」の「K」を強く発音するようにしましょう。これは
「限りなく」の「か」も同様です。後半、「わたしは~」からは、だんだんと、cresc. して、力強さを増してゆきますが、
決して乱暴な歌い方にならないように注意しましょう。答唱句の息継ぎは、原則として、「限りなく」の後、一回です
が、最後の答唱句では、終止の rit. を豊かにするために、「その中に」の後でも、息継ぎをするとよいでしょう。ただ
し、息継ぎが長すぎて、「に」の四分音符の基本的な音価が、崩れないようにしてください。また、同じく、最後の答唱
句は、冒頭 pp で始め、最後は、力強く終わると、この答唱句の持つ、豊かな味わいが、より、深く表現できるので
はないかと思います。
 詩編唱は、冒頭、mf から始めるとよいでしょうか。基本的に、1小節目と2小節目が起→結、3小節目と4小節目
が同じく起→結であるのに加え、1小節目+2小節目が起、3小節目と4小節目が結、という内容にもなっていますの
で、この対比を、よく味わえるような、強弱法や速緩法を用いるようにしましょう。
 詩編唱は第一朗読の「神の知恵」を願って歌われます。わたしたちは時として、財産・名誉・権力などにこころを奪
われ、それを頼りにしてしまいがちです。神の国に入る第一歩は、まず、神の知恵を求めるところから始まります。そ
のためには、まず、神をおそれること=神を神として認め敬うことなのです(詩編111参照)。わたしたちも詩編作者と
同じように、神の知恵をいつも求めることができる恵みを願ってゆきたいものです。
【オルガン】
 この、答唱詩編の性格から言っても、フルート系のストップのみで音色を構成するのがよいでしょう。人数によって、
8’だけにするか8’+4’にするかを考えてください。4’を加える場合は、控えめな音色が良いでしょう。ここが、一番
大切ですが、答唱句は同じ音で八分音符が連続しますから、実際に、歌うように前奏しないと、言い換えれば、メトロ
ノームで測ったようなのっぺらぼうのような前奏では、会衆の答唱も、歌にはなっても祈りにはならない、答唱句にな
ってしまいます。前奏の仕方で、普段、オルガニストが、この、答唱句をどのように祈っているかが問われます。
 詩編唱は、劇的に歌われますが、だからと言って、強すぎるストップ、高いピッチのストップを用いることは、かえっ
て、祈りを妨げると思います。もし、強いストップを用いるとすれば、Swell Box をうまく開閉して、音の量を調整すると
よいでしょう。これは、また、先唱者の声量とも関係してきます。練習のときに、詩編先唱者とバランスをとりながら、
どのようなレジストレーションを用いるかも重要なポイントではないでしょうか。

《C年》
 149 遠く地の果てまで
【解説】
 今日のミサで歌われる詩編98は、前の二つの詩編96:97とともに、王である神(主)をたたえ、イスラエルだけで
はなく、すべての民・すべての国がその到来を待ち望むことが述べられ、《第二イザヤ》とも表現や思想が共通するこ
となど、非常に似た内容となっています。この詩編98は詩編96に似ています。また、有名なマリアの歌「マグニフィ
カト」も、この詩編から取られたと思われるところがあります(詩編の2節や3節など)。
 答唱句は、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で、旋律が始まり、これによって、「遠く
地の果てまで」という空間的・地理的広がりと、そこに救いがもたらされるまでの時間的経過が表されています。「す
べてのものが」では、バスが半音階で上行し、それに伴って和音も変化し、さらに、「ものが」で、旋律が再び6度跳
躍し、「すべてのもの」という、量的数的多さが暗示されています。「かみの」では、旋律が最高音になり、旋律とバス
も2オクターヴ+3度に開き、王である神の偉大さが示されます。「すくいを」は、旋律が最低音(ミサの式次第のそれ
と同じ)となり、救いが地に訪れた様子が伺われます。「すくいを見た」では、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いる
ことで、答唱句をていねいにおさめるとともに、ことばを意識することにもなっています。
 詩編唱は、主音F(ファ)から始まり、上下に2度動くだけですが、1小節目では終止の部分で音が動き、ことばを強
調します。4小節目は属調のC-Dur(ハ長調)に転調しことばを豊かに表現するとともに、そのまま答唱句の冒頭へと
つなぐ役割も持っています。
【祈りの注意】
 答唱句は、解説でも述べた、「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で始まりますから、この「遠く地
の果てまで」という表現にふさわしく、祈りの声を表現しましょう。今日と先週の第一朗読では、救いがユダヤ人だけ
ではなく、異邦人=すべての民にまで及ぶことが述べられています。ユダヤから見れば、この日本はまさに遠い地の
果てです。この日本にキリストによる救いがもたらされるまで、二千年近い時間もかかりました。しかし、わたしたちは
確かにキリストによる神の救いを見て、それを信じているのです。この確信を込めて、答唱句を歌い始めましょう。そ
のために「果てまで」の付点四分音符は十分にのばし、その後一瞬で息継ぎをします。「すべてのものが」は、やや
早目にすると、臨場感があふれます。最後の「が」は、その前の「の」にそっとつけるように歌うと、ことばが生きてき
ます。決して「ものがー」と歌ってはいけません。「かみ」はアルシスの飛躍を生かします。最後の「救いを見た」は解
説でも書いたとおり、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるようになっていま
すから、決してぞんざいにならないように、まことに、わたしたち一人ひとりが「神の救いを見た」という確信を込めたい
ものです。
 詩編唱で歌われる「新しい歌」とは、新しく作られた歌というよりも、救いの体験によって新たに意味づけされた歌で
す。今日、黙想される詩編唱は、すべて、キリストの過越という、神の不思議なわざによって、全く新しい意味を持つ
ようにされました。特に、わたしたちは、キリストの死と復活に結ばれる洗礼によって、すべてが新たにされていま
す。この、新しいいのちの喜びを、この詩編に込めて歌いたいものです。また、最初にも書いたように、聖母マリア
は、この詩編をはじめ、旧約聖書をもとにして「マグニフィカト」を歌われました。つまり、聖母マリアは、旧約聖書を暗
記しておられたのです。わたしたちも、マリア様のこのような熱心さに倣いたいものです。
 ところで、今日のことばの典礼の主題は「異邦人の回心」です。第一朗読に出てくるシリア人は、ユダヤ人から見れ
ば、律法を知らない、異邦人でした。サマリア人は、モーセ五書(創世記~申命記)を認めてはいましたが、エルサレ
ムでの礼拝は拒絶しており、ゲリシム山で、独自の礼拝を行っていました。このような人々も、神が行われたしるしに
よって、まことの神を認め、神に立ち返る恵みに満たされました。サマリア人以外の9人は、その後どうしたのかは書
かれていませんが、自分たちは神の民の一員として「当たり前」と思っていたのかもしれません。わたくしたちも、信
仰生活、教会生活、ミサ、聖書の朗読、などなど、ともすればこの「当たり前」になっていることがあるのではないでし
ょうか。今日の詩編を味わいながら、もう一度、この、遠い日本で「救いのしるし」を見たことを感謝し、「賛美の歌で神
をほめ」てゆきたいものです。
【オルガン】
 基本的なフルート系の8’+4’を用いましょう。あまり、派手な音色やピッチの高いストップを最初から入れると、黙
想の妨げになりますから、気をつけたいものです。前奏の時も、旋律では「すべてのものが*かみーの」の八分休符
と「か」のアルシスを良く生かしてください。また、「すべてのものが」も、歌うのと同じように、やや accel. すると、会
衆も、だんだんと歌えるようになるでしょう。手鍵盤だけで、弾く場合、半音が続くバスや、最後の小節は、持ち替え
や指を滑らすなど、運指に工夫をしましょう。



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